スローフード論の現代的意義(序論) 古沢広祐
1)「スローフード宣言」
産業革命の記章の元、発展を続けてきた我が世紀は、機械を発明し、それを生活の基盤としてきました。私たちは、そのスピードのもと奴隷化され、私たちの生活に踏み込みファストフードを食べることを強いる、ファストライフというウイルスに犯されているのです。私たちホモサピエンスは、いまこそ、種の絶滅の危機に突き進むスピードから自らを解き放たなければなりません。
静かな生活の営みを守ること、それが普遍的なファストライフの愚行へ対抗する唯一の方法なのです。このファストライフの狂乱を効率と勘違いしている人々に対抗し、私たちは感性に訴える喜びとゆっくり持続するたのしみを保証することこそ、ふさわしいのです。
この私たちの反撃はスローフードの食卓から始めなければいけません。そして、郷土の風味とその含みたるものを再発見し、私たちの生活を退化させるようなファストフードの波を打ち消そうではありませんか。
生産性の名の元に、ファストライフは我々の在り方そのものを変え、この地球の環境と私たちを取り巻く景色を脅かしているのです。そこに、いまスローフードが、唯一のそして進歩的な答えとして現れたのです。嗜好を没落させるのではなく、発展、成長させること、それが、真の文化なのです。国際的な経験や、知識、そして何らかの政策の交流がこれらを推し進める最良の方法なのです。
スローフードは、より良い未来を保証します。スローフードは、このカタツムリのシンボルに象徴されるように、ゆっくりと、国際運動へと推し進める多くの支援者を必要とするものなのです。 (パリ、オペラ座、1989年11月9日)
【日本スローフード協会・ホームページより引用】
スロー・フード運動は、1986年にイタリアで、米国系ファスト・フードの開店への反対運動を契機にスタートした。それは、反対のための反対といった枠を越え、ファスト・フードに象徴される効率至上主義の社会に対して、批判と対抗思想、そしてアクションを生み出す文化運動として成立していく。当初は、効率至上主義の食品産業や食文化に対抗して、伝統的な食品製造技術とその食品をゆっくりと味わう喜びを守る運動として広がったのだが、注目すべきは、文化や文明発展のあり方に対する本質的問い直しを志向している点であり、運動のシンボル、”かたつむり”がよくその性格を表している。
3年後の89年には15ヵ国を集めて国際的運動へと発展、その後も順調に共感の輪を広げ、日本やファストフードの本家のアメリカを含む世界40ヵ国以上に静かだが着実な食文化復権運動として広がっている。アメリカ型の24時間眠ることのない気ぜわしい「ファスト・ライフ」を拒否し、生命のリズムを尊重したゆったりとした「スローライフ」を取り戻そうとの呼びかけに共感の輪が世界中に広がったのである。89年に国際運動としての発足にあたって採択されたのが、上記の声明文であった。この運動を今日的視点でとらえ返せば、アメリカ中心に押し進められてきたグローバリゼーションへの対抗思想と行動提起が、食と農、地域と環境を中軸にして展開されたとみることができる。

この声明文には、スローフードの思想と立脚点が端的に示されている。現代文明が内在する”スピード・生産性・効率万能主義”が、私たちの生活の根底を変え、環境や自然を壊しているとの認識の上にたって、生命の原点である”食”を起点にスローフードを提起し、変革運動が展望されている。運動がめざし掲げる内容は、楽しむ権利と生命のリズムの尊重、食文化の探求と美的能力の向上、こども時代からの味覚や嗅覚の開発と教育、食と農の文化的遺産と伝統の保護、自然と調和した質の高い農産物の普及、地場産品と小生産者の保護、生活主体としての消費者の権利、「人間と自然」「人間と人間」の関係の改革など幅広い領域をカバーし、食を軸にしてその活動領域を広げてきた。
2)健全なる味、味覚の箱船 ー 食・文化・自然の多様性の復権
実際の具体的な活動としては以下のようなものがある。大きなものに、2年ごとに”ホール・オブ・テイスト”(健全なる味覚)という大規模な食の見本市を開催しているが、それは、たんなる見本市ではない。食の危機を自覚し、食の根源を見つめ、食文化の復権に社会や文明のあり方を展望しようとするものである。食は地域と風土に結びついたものであり、栽培技術や品種、加工や調理、保存や食べ方、饗宴の作法までを含めて、歴史や文化の結晶といってもよい存在である。食は、まさに人間としての生きる全体性を体現した存在とみることができ、その意味の復権が求められている。そして、そのためには、それを支える味覚があってこそ成り立つ存在なのである。
また、食文化に関連した問題に食料資源における多様性の喪失がある。現在私たちの食べる食品の9割がわずか30種の植物から作られている現状がある。人類史的にみれば、これまで世界各地で約7千種もの栽培植物が食料資源として人類の手にゆだねられてきた。それが、近年のグローバリゼーションの影響下でこの多様性の財産が急速に失われ出している。この失われゆく食の多様性保護の目的で、96年から”絶滅危機”食品と製造技術をリストアップする、”アーク・オブ・テイスト”(味覚の箱舟)の作成が始められている。
さらに、地域の味を滅ぼす規制や規格・画一化に抵抗して、EU(欧州連合)、WTO(世界貿易機関)、FAO(国連食糧農業機関)などが推進する食品製造の工業的標準化・規格化、高度衛生管理、流通の近代化などに対しては、大規模産業化を促進し、大企業を利するものでしかないと反対運動を展開している。バイオ食品に対しては、スローフードの対局に位置するものとして、安全性のみならず倫理、法制度、環境、健康の面から問題視する。こうした画一化によって失われるのは、たんに食品だけでなく、健康、農村社会の安定、生き方、文化、伝承、風景、自然、まさに生活すべてであると考えるのである。
興味深い関連する動きに、1999年にイタリア、トスカーナ地方のグレーベから派生的に広がったスローシティ運動がある。2000年7月には、「スロー イズ ベター」の考えに賛同した他のイタリア小都市30が”スロー・シティ”を宣言した。”スロー・シティ”であるための資格は容易ではない。伝統的町並み、豊かな文化、調理、職人技術が伝承されていることはもちろんのこと、派手なネオン広告の禁止、中心地への車の乗り入れ禁止、自転車道の普及、地域の小食堂、樹木、公園、広場の保護、騒音規制など細則にわたって市長が宣言しなければならない。
また、スロー運動は自分たちの文化、地域を守ろうとするだけではなく、”友愛のテーブル”と名付けられた国際的支援プログラムも行っている。ボスニアのこどもたちに対する食料支援、アマゾン先住民の医療プロジェクトに対する支援、ニカラグアに対する支援などを行っており、物資・資金の援助だけでなく、内容も農民の生産能力を高めるためのトレーニング、地雷撤去、食習慣改善などさまざまである。食と文化の多様性を、途上国や世界の人々と共有し、多様に発展できる可能性を世界全体で高めていきたいという壮大な思想と実践がめざされているのである。
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